デフォルトとしてのロリ

男性向け恋愛ゲームでは、女性は男性に対して弱者かつ依存的に描かれるのが普通ですね、こんなんばっかじゃ進歩ありませんよ? というお話。
99年の記事のようですが、実際、これをデフォルト(規定値)として女の子のポジションが指定されている、という状況はパソゲー黎明期から現代に至るまで根本的にはなにも変わっていないように思います。ゲームの中の主人公が死んでもプレイヤーにはまったく影響がないのと同じように、恋愛シミュレーションにおいても女の子がプレイヤーに精神的危害を加えることはないのです。もちろん、やみくもに攻略難度を高くすることが芸術性の向上に等しく結びつくわけでもありません。
改善策としては、まずは女の子から主人公への一方的な(プレイヤーに都合のいい)依存ではなくあくまで対等な愛情関係を描いていくことが基本になるわけです。基本を遵守する必要はありませんが、これを逸脱してしまうと「恋愛もの」と呼ぶにはかなり無理のあるパンクなゲームになってしまうでしょう。そういう意味では、強弁すればギャルゲーはパンクがデフォルトです。かっこいいですね。でも現在はこれが体制側なのですから、今は逆に変化球のないものすごく真摯な恋愛を極上に描くことこそが本当の意味で反体制的でパンクなことなのです。*1
そう思うと、薄っぺらな小児愛を越えて子供に本当に愛情を注ぐ様子を描こうとしたら恋愛じゃなくて親子愛になったというAIRはなにげにパンクだったなあ、と感慨が。となると完成度を問うのも野暮なんでしょうか。それはまた別か。
ちなみにKanonもこのデフォルト論にきっちり含まれていますが、私が個人的に二次創作をしていて常に描きたかったのはこの非対等感の是正だったのかもしれません。やってたことは女の子を可愛く描くことに命を削ってただけですが……。適切な定義と論旨と固有名詞は権威をうむ、というお話でした。たぶん。

*1:音楽で言うならネオアコです(超蛇足)。